国立新美術館で開催中の「ミュシャ展」に妻と行ってきました。

ミュシャについて詳しくない僕ですら、

作品の大きさや色使いなどその美しさに圧倒される展覧会でした!

図録を買ってきたのですが、

巻末にミュシャの生年月日や詳細な経歴を記した年表があったので、

占い師の僕としては絵画よりもこちらに興味が(笑)。

こんな大作を描き、世界中にファンがいる芸術家の命盤はどうなっているんだ

と興味が沸いたので、紫微斗数で見てみました。

ミュシャと紫微斗数

なかなか意外な組合せではありますが(笑)、

年表をもとに解説してみます。

ただし、ミュシャの出生時刻は分かりませんので、

詳細な経歴を見ながら出生時を絞り込んでみたところ、

おそらく丑刻生まれの可能性が高いと思われますので

それをもとに解説しています。

 

アルフォンス・ミュシャ

1860年7月24日 丑刻生 男性 午の命宮 紫微独主タイプ

命盤を眺めて感じたのは、

生まれた時から78歳で亡くなるまでの人生において

「大限命宮飛星の法則」に合致している時期がかなり多いということ。

2歳~11歳

12歳~21歳

27歳~31歳

32歳~41歳

47歳~51歳

52歳~56歳

72歳~76歳

が該当しています。

これは何を意味しているかというと、

先天的運気が非常に強く、

それをうまく生かせるか否かによって運勢も大きく変わるということ。

逆に先天運に恵まれていても

それを生かせていないと、ぱっとしない人生になることもありえます。

 

次に、先天盤で特徴的なのは、

遷移宮の貪狼、交友宮の太陰がともに「自化禄」になっていること。

世界的に知名度がある人は遷移宮や交友宮が優れている人が多く、

人気商売においては「大衆に受け入れられて財を成す」といった傾向があります。

とりわけ、ミュシャの知名度を一気に広めたのは、

ポスターや雑誌の挿絵など、大衆の目に触れるもの

交友宮は「大衆」「メディア」ですから、

まさに

大衆に受け入れられ、当時の雑誌などのメディアに取り上げられて「財」を成す

という象意がぴたりと当てはまります。

ちなみに手相家の西谷泰人先生も遷移宮と交友宮が貪狼、太陰の自化禄です。

 

続いて、生年化禄が子女宮と相性の良い宮についていることにも注目。

子女宮は「教え子」や「取引先」、「顧客」や「ファン」などの意味ですから、

自然とそうした人たちに恵まれるということが分かります。

実際、ミュシャの名が瞬く間に広まったきっかけは、

当時、パリの大女優であったサラ・ベルナールから

ポスターの制作を依頼されたことがきっかけなのです。

まさに最高の「顧客」と縁が出来たことが、

彼がブレイクするきっかけとなったと言えます。

また、のちに妻となる女性は美術学校時代の「教え子」だったとか。

こうして見ると、彼自身の才能や努力ももちろんですが、

「人脈や人気をもたらしてくれるような出会い」にも

かなり恵まれていたことが分かります。

アーティストと言われる人たちは

どんなに才能があったとしてもその才能を引き立ててくれる恩師や

強力なスポンサーのバックアップがなければその才能を

「人気」や「富」に変えることは出来ませんから。

 

もう少し詳しく見ていきます。

経歴によると、

ミュシャは幼少の頃から絵が得意で、

知られているところによると、

最初のデッサンが完成したのが13歳。

合唱団の聖歌集の表紙を描いています。

これがミュシャにとって公的な初の仕事だそうです。

大限命宮飛星の法則で見ると、

12歳から大限財帛宮の太陽に化科がつき、

相性の良い四化の恩恵を受けていることが命盤から読み取れます。

「財帛宮」ですから、お金に関することやお金を稼ぐ意識そのものを表しています。

手相の観点から見ても、

14歳までの時期は芸術的な感性を伸ばすには一番適した時期だというのは、

以前この記事にも書いた通りです。⇒ 生命線の起点が教えてくれること

ミュシャにとって「絵を描くこと」は生まれながらの使命というか、

本能的なものであったことは間違いないと思います。

 

1883年 23歳 ミクロフの大地主であるクーエン伯爵と出会い

エマノフ城の食堂と図書館の絵画修復の仕事を依頼される。

この年がミュシャにとってターニングポイントとなる重要な年となり、

年運で見ると破軍(太歳父母)に化禄が飛んだり、巨門(太歳遷移)に化権がついたりと

飛星の法則で見ていくと、四化星が非常に良い働きをしているのが分かります。

この年から7年間、クーエン伯爵の援助を受けながら美術アカデミーに通うなど

絵の勉強を続けるのです。

父母宮は「上司」「スポンサー」の意ですから、

クーエン伯爵という良いスポンサーを得たことが、才能を開花させるきっかけに

繋がっていると言えます。

 

そして1889年、29歳でクーエン伯爵の援助は打ち切られるのですが、

この年、地盤疾厄宮に生年化忌が巡っています。

太歳命宮に生年化忌が巡ってきた年運は人間関係などが一旦終わりを迎えたり、

それまでの環境を離れる運気にあたります。

 

しかし、翌年の1890年、

フランスの演劇雑誌の挿絵製作の仕事をスタートさせています。

大限遷移宮の武曲に化権が飛星しますから、

まさに心機一転、新しいスタートを意味します。

 

そして、ミュシャの名声を一気に引き上げたのが1枚の有名なポスターです。

1895年、35歳の冬に舞台女優サラ・ベルナールの依頼を受けて作成したポスター

パリの街で大評判になります。

これによりサラ・ベルナールと6年間の契約を結ぶことになり、

ミュシャの知名度と活躍の幅が一気に広がるのです。

32歳~41歳は大限子女宮の紫微に化科が飛星する幸運期。

その中でも、太歳飛星(1年運)で見ると、

35歳の年運はとりわけ仕事の幅が大きく広がりやすい年運にあたります。

大限(10年運)と太歳(1年運)がともに飛星の法則に合致していると

またとない大きなチャンスが巡ってきます。

もちろんそれまでの下積みがあったからこそ

チャンスをものにすることができたのですが、

下積みにプラスして運の後押しが加わると、

大きなチャンスに恵まれたり爆発的なヒットにつながりやすいのです。

たとえば、宇多田ヒカルさんが大ブレイクした1998年の運勢も

10年運と1年運が飛星の法則と見事に一致しています。

 

また、作品を眺めていて感じたのですが、

ミュシャの作品には宗教的なニュアンスを含む絵が多いということ。

(※僕が気に入ったこの絵は写真撮影可能でした)

命盤をよく見ると、廉貞星が自化忌になっています。

年表には、

1898年、38歳の時にはフリーメイソンのパリ支部のメンバーとなった

と書かれていますし、

貪狼と地劫の組み合わせもありますから、

ミュシャは神秘学、占星術やオカルトにも興味が強く、

霊的な感受性も強かったと思われます。

なみにヒトラーもこの組み合わせをもっていますが、

彼もオカルティズムで有名です。

 

1907年には、ルーマニア国王カロル1世より最高勲爵士を授与されています

これも10年運の中で後半5年の良い運勢に切り替わった時期と合致しています。

 

今回の展覧会のメイン『スラヴ叙事詩』は

1911年~1926年の16年間をかけて描かれたそうですが、

ちょうどその時期は大限福徳宮の巨門に化忌が飛んでおり、

特に描き始めた1911年からの5年間においては、

巨門星の「研究」「マニアック」「集中力」が一気に高まる運気

巡っているのがわかります。

昨晩NHKで放映されていたドキュメンタリー番組

「華麗なるミュシャ 祖国への旅路」で、こんなエピソードが紹介されていました。

『スラヴ叙事詩』を描くために、何人もの村人にモデルになってもらい

写真を撮っているのですが、その様子が、実際に当時の衣装を村人に着せて

ポーズをとらせるといった徹底したこだわりよう。

また、お城の一室をアトリエにしていたそうなのですが、

この期間は滅多に人と会うことはせず、

家族が会いに来るのですら「予約制」にしていたというのですから、

その研究力と集中力といったら凄まじいものがありますね。

まさに巨門星の世界観をよく表したエピソードだと思いませんか?

生まれ持った素晴らしい才能と圧倒的な集中力が掛け合わさって

これほどまでに多くの人を魅了する絵画が生まれたと思うと、

ちょっとぞくっとしますよね。

調べていくと、とにかく凄い人物だということが分かりますが、

占いに限らず違った視点から眺めてみるのもまた面白いかもしれませんね。